たかが世界の終わり

前評判の高い映画ということで観に行ったのですが、面白い、楽しいというものではありませんでした。画面から目が話せず、いろいろ考えさせるものでした。

12年ぶりに自分の死期が近いことを告げるために帰郷した弟。息子の帰宅が嬉しくて、はしゃいでご馳走を作る母。この母のセリフが胸を打ちました。「理解はできないけど、愛している」全くその通り、愛しているけど、解らない。こういう事ってどこにでもあるのではないでしょうか。
弟は何も告げることができずに帰っていく。これもよくあることですね。家族だからこそ家族を脅かすような辛いことことがいえない。
イジメについてはこの要素が大きくかかわっているようです。イジメに限らず、辛いことを自分の中に抱え込んで外に出せずに、うつ病、極端には自殺までいってしまうような。もう一度「理解はできないけど、愛している」を見直してみましょう。諦めてしまったわけではない、と。100%理解はできなくても、理解しようとする姿勢はあるのだと。そう感じたら、少しでも理解してもらえるように自分以外にSOSを出してみたいものです。でも、誰でもというわけにはいかないので、家族以外のところで、理解できそうな第三者、メンター制度の利用など考えつくことをしてみましょう。